Profile

高瀬アキ, Aki Takase

Aki Takase

ヨーロッパを中心にジャズ、即興音楽シーンで活躍。国際的に高く評価され、欧州ほか、 世界各地で演奏活動している音楽家。

1987年よりベルリン在住。
同年音楽監督アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハと共に ベルリンコンテンポラリージャズオーケストラを率いて演奏活動を開始。

1997年秋から2000年冬までベルリンのハンス・アイスラー大学に客員教授として招かれ教鞭を執る。

ベルリン新聞文化批評家賞(1999年)
SWRラジオ局2002年度最優秀音楽家賞
ドイツ批評家レコード賞 8回 受賞
(2004年度ドイツ批評家賞ジャズ部門年間ベスト・レコード賞)も含む。

最近では2009年4期 ドイツ批評家レコード賞" Yokohama“ ルイ・スクラヴィスとのDUO(Intakt 165)

現在“プレイズ ファッツ・ウォーラー”、“アキ・アンド・ザ・グッド・ボーイズ”グループ、"TAMA"トリオ、 "LOK.03"トリオ、又アレックス・フオン・シュリッペンバッハ、ルイ・スクラヴィス、ルデイ・マハール、 ハン ベニンクとのデュオで演奏。

2011年より新グループ、フランスのクラリネット奏者ルイ・スクラヴィスと共に ”LA PLANETE "を開始、8月NDR北ドイツ放送局にて収録。

“プレイズ ファッツ・ウォーラー・プロジェクト”のメンバー達と" NEW BLUES UNIT”を開始。

他ジャンルとのコラボレーションとしては1999年より作家多和田葉子との ”言葉と響き"デュオ・パフォーマンスを欧米、日本でも数多く公演。毎年秋にシアターXで公演。

ベルリン在住の舞踊家川口ゆいと”ピアノの中に都市がある”("Die Stadt im Klavier")シリーズを定期公演。
公演タイトルは"CHACONNE" 美術家の田口一枝と3人のアーチストによる共同制作。 詳細は:川口ゆい
日本では岡登志子主宰コンテンポラリーダンスカンパニーの音楽監督を務める。 詳細:アンサンブルゾネ




Aki Takase

1948年1月26日の大阪生まれ。お母さんがピアノを弾いていたこともあり3歳よりピアノを始める。 6歳からレッスンを受ける。高校は大阪の相愛学園を出て、 桐朋学園大学ピアノ科卒業に入学と同時に演劇サークルに入部。 芝居の音楽を担当しているうちに自分を表現するのはピアノを弾くことだと見定める。 大学2年の頃、キャノンボール《マーシー・マーシー》に痺れてジャズに興味を持つ。 その頃大好きだったソニー・クラーク、レッド・ガーランドなどコピーしてジャズを楽しんでいた。

プロになる決心のきっかけをつくったのは、 当時ファンキーなピアノを弾きまくっていた本田竹曠のライブに接してからだという。 本田竹曠のトラを務めたこともある。しばらくの間だが、藤井貞泰に理論を学ぶ。 卒業後、山下洋輔に師事。これについては後に山下洋輔自身が微笑ましいエピソードを <しましょうか>のライナーに書いている。

71年大友義雄グループでプロ入り(?)。 73年頃、ジェイク・H・コンセプション(as)・カルテットで約一年間、 アメリカ軍施設だった赤坂山王ホテルで生演奏の仕事をしていた。 大友義雄のコンボではジャズ・スポットで演奏するようになり、 向井滋春や土岐英史、大友義雄等で若手のリハーサル・ビッグバンドSMCを結成して活動。 以後、自己のグループ、安田南の伴奏、吉田憲司グループを経て渡米。

帰国後の76年には1年近く休養のため活動を停止、 カムバック後は一気にアバンギャルド的な演奏に向かい、多くの人を驚かせた。 1977年のグループのメンバーは大友義雄(as)、鈴木明男(ts)、山崎弘一(b)、渡辺毅(ds)。 その後、池田芳夫、土岐英史、中村誠一、日野元彦などのグループや 自己のカルテットでプレイした。1979年には自己のトリオでファースト・アルバム AKI をリリース。 その後も数多くのプロジェクト、ならびにレコーディングを行う。

ホルスト・ウェーバーに見出され、 1981年11月ベルリン・ジャズ祭にトリオ(井野信義、森山威男)にて出演。 ヨーロッパが自分に合っていると感じ始めたのはこの頃だろう。 ベルリン・ジャズ際で高瀬アキの才能を高く買ったオランダのジャズ・オルガナイザー、 ポール・アケット等の要請で1982年にはソロでヨーロッパ・ツアーを敢行。 ニュルンベルグでのEast-Westフェスティバルなどに出演した。 1983年トリオでオランダ、ベルギー、84年カルテットでヨーロッパ・ツアー、 1985年、草月ホールでの井野信義とのリサイタルの後、5月渡独。

1986年6月渡独、 ドイツでヨーロッパ前衛派の中心的存在アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハと出会い意気投合、 共同で音楽活動も行なう。1987年からベルリンに移住。 ポルトガルのヴォーカリストマリア・ジョアとのデュオで 1987年のモントルー・ジャズ祭を皮切りにヨーロッパ各地のジャズ祭に出演し絶賛された。 1988年にはこのデュオで日本公演、1989年にはアメリカ・ツアーも行っている。

また、ノルウェー政府からの招待でベースのニールス・ヘニング・ エルステッド・ペデルセンらとのトリオで1ヶ月間ノルウェー・ツアーも行った。 主なプロジェクトではレジー・ワークマン、ラシッド・アリとのトリオ、 ディヴィド・マレイとのデュオアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハとのピアノ・デュオ、 井野信義とのデュオに弦楽四重奏団を加えたプロジェクトなど 多彩な活動を行っており、常に高い評価を得ている。

この他に、1993年のベルリン・ジャズ祭には日本を代表するミュージシャン (五十嵐一生、林栄一、片山広明、板谷博、井野信義、日野元彦)との セプテットで出演、 翌1994年にもこのセプテット(ドラムは日野元彦に変わって小山彰太)でヨーロッパ・ツアーを行った。 1998年4月には伊藤君子とのデュオでヨーロッパをツアー。 1998年11月のベルリン・ジャズ祭にはドイツの新鋭バス・クラリネット奏者、 ルディ・マハールとのデュオで出演し高い評価を得た。 ドイツ批評家レコード賞も4回受賞している。

1988年にはご主人アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハとの双頭バンドで、 ヨーロッパのスタープレイヤーたちを集めた ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)を 異例のベルリン市の肝入りで結成。 BCJOの1996年の日本公演に際しては、 BCJOの音楽監督であるアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハと共に尽力。 ピアニストとしてのみならず作編曲者としてもBCJOに作品を提供するなど、 BCJOのコ・リーダー的存在として活躍している。 1999年6月に開催されたハママツ・ジャズ・ウィークではスペシャル・オーケストラを率いて出演した。 また、1997年からは演奏活動の傍らベルリンのハンス・アイスラー大学で客員教授として教鞭もとっている。

いまや、『アメリカの穐吉敏子、ヨーロッパの高瀬アキ』と並び称せられ、 海外で活躍し国際的評価を受けている数少ないジャズミュージシャンである。






Last Revised : Oct.13.2011