Writings

横濱ジャズ・プロムナード (Oct.11,1997)

横濱ジャズ・プロムナードの2日目(10/11)です。

この日は最初から最後までランドマークホールに居座りました。 EUROPE JAZZ NOWと題されたプログラムです。

●EDWARD VESALA with Sound & Fury
最初はフィンランドから来たグループ。ドラムの気難しそうなおっさんがEDWARD VESALAなのね。 この人が全体を統率しているのだけど、音楽も気難しそうだ。 ドラムのチューニングがいまどき珍しいゆるゆるのドンドコ系。(笑)
ほんでもってビートなし、ノリなしの演奏が続く。曲はしっかり決まっていて、 あまり各奏者の自由は無いみたい。で、このまま終わっちゃうのかな、 と思っているうちに本当に終わっちゃった。(苦笑)
AECあたりの影響も感じられるけど、もう少しどんよりした感じかな。 どうもこいつら何が楽しくて音楽やってるんだろう?って気がする。

●高瀬アキトリオ
メンバーは高瀬アキ(P)、井野信義(B)、ルディー・マハール(Bcl)。 昨年のBCJOはサボって見に行かなかったので、高瀬さんの演奏を聴くのは久しぶり。 さすがに安心して聴けるので、ちょっとホッとする。
バスクラのルディー・マハールの硬質な音が斬新でいいですねぇ。 音も硬質だけど、フレーズもゴリゴリしていて嬉しくなります。

●BHB(ブロッツマン・羽野・バウアー)
ブロッツマンの演奏を生で聴くのは実は初めて。 (客として新宿ピットインに来ているのを見たことはあったが)
う、音がでかい。これは。60分一本勝負といった演奏。実際は2曲でしたが。
ブロッツマンは音はでかいが、意外にエレガント。それに比べると、 トロンボーンのバウワーは吠えてるみたいでエレガントさに欠く。羽野昌二は、、、、 あんなに汗かいたら3Kgくらい痩せるんではないだろうか。(^^;)

●ミシャ・メンゲルベルクトリオ
メンバーはミシャと豊住芳三郎(Per)、河野雅彦(Tb)。 豊住さんはパーカッションとなっていますが、ドラムセットです。 もっとも普通の叩きかたはしないけど。
ミシャは3年前の横濱ジャズプロムナードで見たのだけど、 そのときは機嫌が悪かったのか疲れていたのか、 ちょこちょこっと弾いて30分程で引っ込んでしまったと思います。
今日は機嫌が良かったのか、その時とは打って変わって、登場したときから楽しそうでした。
アンコールにMONKの「WELL,YOU NEEDN'T」を。豊住さんが4ビート叩くのはレアかもしれない。

●A・シュリッペンバッハトリオ
メンバーはA・シュリッペンバッハ(P)、P・ルーベンス(Dr)、R・マハール(Bcl)。
予定ではエバン・パーカーが参加となっていましたが、急遽来日できなくなり、 代わりにルディーがこの日2回目の登場。ところがこれが凄い。いきなり切れていました。 高瀬トリオの時よりもっとハード。楽器も人も壊れるんではないか、と心配してしまうほど。 ステージの背景が黒なので、ルディーから湯気が立っているのが判ります。
シュリッペンバッハも破壊力が強烈ですが、この日はルディー・マハールが明らかに引っ張っていたよな。
それとルーベンスが実に楽しそうに叩いたりこすったり、投げたり(笑)していたのが印象的です。 で、ちゃんと音楽になっている。 それにしてもなんでこの人だけネクタイ締めてサラリーマンスタイルなんだろう?
このトリオでもMONKのナンバーがそこかしこに登場。この日、ずいぶんMONKの曲を聴いた気がする。 それがタイトルとなったEUROPE JAZZ NOWを印象付けることになりました。

ちうわけで7時間。疲れたぞ。(苦笑)

Tsutomu Sakai / Oct.27,1997



The Takase Aki Septet / Oriental Express (Omagatoki SC-7109)

このところ評判の高かったセプテットのアルバムが、新星堂系列のオーマガトキ からリリースされました。 数年前ならたぶんライブを見ているのでしょうが、このところすっかり出不精になっちゃったんで、 まだ噂だけでした。 メンバーは五十嵐一生、林栄一、片山広明、板谷博、小山彰太、井野信義です。 なんだかメンツを見ただけでも、野趣が香ってきますねえ。 これまでの高瀬さんの、 例えばベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オケの端正な響きとは一味も二味違うであろうことが容易に想像できるでしょう。 昨年(1994年)の体育の日に、ベルリン でおそらくスタジオ・ライブのような形で録音されたのでしょう。 1曲だけMCと拍手が入っています。

冒頭はミンガス のメドレー。『So Long Eric〜Duke's Choice〜Goodbye Porkpie Hat』で24分。 テーマを挟みつつ、ソロを自由にやるという感じですね。ミンガス 色はそれほど強くないですが、 一部下品さが共通しているかも知れない。 3曲目の『Point』 はシュリペンバッハの作品で、あとの 3曲は高瀬さんの曲です。

楽しめることは楽しめるんだけど、何かが物足りないんですよね。 それが何かは、これを初めて聴いてからずーっと考えてるんだけど判らないのだ。 個々の奏者の爆発は面白いけど、各々の奏者間の関係というか結び付きというか相互作用というかが、 ちょっと弱いのかも知れない。せっかくこれだけの人達が7人集まっているんだからね、ってところ。 ライブではあまり感じないだろうけど、CDだとちょっとね。  もっともこれは、高瀬さんに対する思い入れが強いからでしょうか。 あの大したことのないデヴィッド・マレイとのデュオでさえ、高瀬さんのピアノは十分面白かったですから。 高瀬さんなら、もっと出来ると思っている訳です。このメンツならこんなもんぢゃないだろう、と。

上にも書いたように、楽しめることは間違いありません。特に林さんが凄いです。 凄いと聞いて、まだ確かめに行ってない出不精の私ですが、 このところの凄さの一端に触れられたような気がします。

こうなったからには、やはり次作への期待が高まります。その前にやっぱりライブに行きたいな。 といいつつ、このところまるでライブのスケジュールに疎い私(大失笑)。

toshiya yoshioka / Mar.23,1995



【味噌醤油】大胆な仮説(^^;)

そうか、なるほど、、、、と思いつつ、「味噌醤油」を頭では理解したつもりにはなっても、 いざ高瀬さんを聴いてみると、やはり「味噌醤油」を連想出来ないのは、 僕が日常的に味噌醤油に浸りきっているからかもしれない。

たとえばローマニッシェスのライブで「エレン・デヴィッド」を聴いた後、 オリジナルであるチャーリー・ヘイデン&キース・ジャレットの演奏を聴きなおしてみると、 たしかに高瀬&井野の方には情念の塊のようなものが感じられて、 なるほどヘイデン&ジャレットは「塩胡椒」であるわい....などと思えたのではあるが。

これが明田川荘之になると、もはや「味噌醤油」を超越した、 生きざまからにじみ出てくるような味が感じられますね。 で、「エアジン・ラプソディ」を聴いていて、彼の郷愁を誘うピアノの音もさることながら、 独特の唸り声の力の入れ方というか、力み方が欧米のそれとは違うと感じたのね。

そういえば山下洋輔が「カラコリキレカラ」とやるときの歯のくいしばり方も、 似たような「力み」が感じられる。

そこではっと思いついたのだけど、この人達、きっと「和式」で育ったに違いない。(^^;) 今だって目の前に「和式」と「洋式」があれば「和式」を選ぶんぢゃないかな。 高瀬さんは幼少のうちに「洋式」へ転向したような気がする。(笑)

そうすると、エルビン・ジョーンスに日本的な「味噌醤油」が感じられるというのは、 彼が日本に滞在した間の食生活の影響よりも、 すっかり「和式」に馴染んでしまったからではあるまいか。あの力み方はきっとそうだぞ。(^^;)

最近のフュージョン物にしても、和製ポップスにしても、 なんだか耳を右から左へ通り抜けてしまうように感じるのは、 実は「生まれた時から洋式世代」が演っているからかもしれない。

もちろんトイレのことです。念の為。暴論ですな。我ながら。(苦笑) JAZZLIFE誌あたりで、ミュージシャン向けアンケートとか、やらないかなぁ。

Tsutomu Sakai / Aug.13,1993



【味噌醤油】どこに感じるか?

いやあ、今年の高瀬さんの里帰り公演は、大入りですなあ(笑)。もちろんこれには、 収益面は関係ありませんが(^^; で、本題の『味噌醤油』です。あまり「アットホームな雰囲気」には味噌醤油を感じないのでありますが。 もっとも、本人も「特定の部分を指摘せよ」と言われても困るんですよね。そんな訳で、 この『味噌醤油』を感じる人と感じない人を挙げてみます。 まず、圧倒的に感じるのが明田川荘之。感じすぎ、って気もしないではないですが(笑)。 同じペンタトニックでも、ジョー・ザヴィヌルとはまったく違って聴こえる点には異存ないでしょ? あと高瀬さんの師匠方面である山下洋輔。 オリジナルの演奏以上に例えば「Rhapsody in Blue」だの「Over the Rainbow」などに、 日本的リリシズムを感じます。

で、高瀬さん。敢えて言えば、デュナーミクかなあ。長唄などと同じようなデューナミクだと思いません? あるいは、パーカッシブの度合が、日本の鳴り物と共通しているし。 あるいは彼女のオリジナルである「Prest V.H.」「Hanabi」「Dr.Beat」などに、 アケタ流ペンタトニックの断片を感じます。 もっと極端に言ってしまえば、日本語でアドリブをするというのかな。彼女のソロをヴォーカリーズするとすれば、 ぴったりと載る言葉は日本語です(きっぱり) 師匠とは逆に、人の曲だと、かなりその世界に入り込んでしまう訳ですが、 インプロ部分は紛れもなく高瀬流になります。

一方、「味噌醤油」を感じない最右翼は、やはり大西順子です。これは爽快ですらありますね。 ベーコンの浮いたコンソメ味のスープでしょう(笑)。 あと橋本一子さんも希薄ですね。でも、隠し味でしっかり使ってそうな気もします。

私は黒人のジャズにおけるブルースの役割が、ジャズが世界に広がる時点で、それぞれの場所、 あるいは民族特有のテイストに入れ替わったことが、現在のジャズの裾野の広さではないかと思ってます。 ですから、この「味噌醤油」風味は、日本のジャズの一つのあり様ではないでしょうか。これを細分化すれば、 味噌も赤白、醤油も濃薄タマリいろいろある訳ですが。 その上で、それを前面に押し出すか否かは、個々のミュージシャンの個性であり作戦ですから、 一概に言えませんが、高瀬さんの場合は全身からにじみ出しているような気がします。

toshiya yoshioka / Aug.08,1993



高瀬&井野デュオ・ライブ (Aug.05.1993)

なんとも贅沢なライブでした。なにしろ、演奏者の数と客の数がイコールだという.......(^^;) ま、もともと客の入りはあまり良いとはいえない六本木ロマーニッシェス・カフェではありますが......

最初は別なテーブルに女の子2人連れがいたのですが、ワンステージめが終わると 「....なんか間違ったところへ来たかなぁ....」って感じでそそくさと帰ってしまいました。 ああ、もったいない。(苦笑) たしかに井野さんの真ん前でベースの打楽器奏法を硬直状態で見ていたものなぁ。(笑)
で、入れ替りで4人ほど入ってきてカウンターに座ったのですが、 良く見ると前日のピットインでの共演者がいたような気がする。(笑)ま、内輪だったわけですね。

僕は昨年の夏に新宿ピットインでこのデュオを見ているのですが、その際と比べても、 ずっとアットホームな感じでした。(って、あたりまえか)昨年のは姜泰煥がゲストだったせいか、 結構ピリピリした緊張感が走っていたものなぁ。

後半のステージは「ミンガスの曲を続けてやります」ってことだったのですが、 いつしか曲はチャーリー・ヘイデンの「エレン・デヴィッド」に。

終わったあとで、高瀬さんが井野さんに「ごめんネ、途中で気が変わっちゃった」て言ってたけど、 そーかぁ、あれは打ち合わなしだったんだな。でも、さすがは十年来のデュオ。 本当にすぅ〜っと自然に曲が移って行ったのだ。

で、帰りがけに高瀬さんに「最後までありがと。また来てくださいネ」などと声かけられちゃって、 すっかり舞い上がってしまったのだった。へへへ。(^^;)

このアットホームな感じが「味噌醤油」なのかなぁ。 どうも「味噌醤油」がピンと来ていないのであるが。

Tsutomu Sakai / Aug.06,1993



高瀬&井野デュオ・ライブ (Aug.05.1993)

高瀬さんのピアノは、2年ぶりです。2年前というとかの名盤「Shima Shoka」のリリースされた年です。 その時は、ソロとデュオの2種のセットがありましたが、迷わずソロに行きました。 彼女は現在ベルリン 在住で、毎年夏に里帰り公演があります。去年(1992年)の夏にも、 滝山でライブを行ったようで、その時はソロだったそうです。

第1部、のっけからフレッド・ヴァン・ホフ真っ青の内部奏法です。そして、なんとミンガス・メドレー。 これは意表を衝かれました。MCによると「最近最も興味あるジャズマン/コンポーザー」とのこと。 これが高瀬&井野の手にかかると、羽織袴のミンガスの姿が見えてくるところがさすがです。 その後ミンガスをもう1曲と、ピアニカによるオーネット・コールマンで休憩。

第2部は、「茶缶奏法」によるソロ・インプロヴィゼーションで始まりました。 お茶の缶の各パーツを、グランドピアノの中に放り込んだプリペアドです。パーツの形状によって、 音が変わる訳で、なんともリリカルなノイズが発生します。 その後、最新作「Close Up to Japan」のナンバーを中心に、濃密な、 まるで味噌とワカメのマッチングのようなデュオが繰り広げられました。

北里義之さんの名言「味噌醤油ピアニスト」を知って以来、その想念から離れられない訳ですが、 やはり彼女のピアノからその香りが立ち上ってくるのも事実です。 これが、ベルリン 在住で里帰り公演であるが故なのか、 彼女本来の持ち味なのかは欧州での演奏をCDでしか聴いていないので、何とも言えません。 しかし、ペデルセン、マリア・ジョアンとの前々作「Alice」 と、 井野、Tokiカルテットとの「Close Up to Japan」を比べると、 後者ではっきりそれを目指していることが分かります。

井野との付き合いは、もう10年以上の歴史を持ちます。言ってみれば、 近々話題のスティーブ・ガッドとリチャード・ティーに比肩出来る名コンビかも知れません。 この場合はピアノとドラムスですが、エヴァンス&ラファロ、エヴァンス&ゴメス、 ピーターソン&ブラウン、ドリュー&ペデルセンと、数多くの好例があるように、 ジャズでも美味しい部分である訳で、高瀬&井野もその域にあります。 このピアニストとベーシストの結び付きは、弟子である黒田京子&斎藤徹に確実に受け継がれているのが、 嬉しいですね。

とにかく、2年ぶりに彼女の指、拳、そして肘を満喫できました。それに相応しい小さなホールで、 しかも、ジャズ通ではないかも知れませんが、温かい眼差しを持った約 200人のリスナーと共有出来たのは、 幸運なことです。 CDを買えばサインしてくれるってことで、2枚目の「Close Up…」を買ってしまいました(^^;

toshiya yoshioka / Aug.06,1993



Aki Takase / Close Up of Japan (enja CD 7075-2)

何が変わってるって、まずパーソネルでありますね。井野信義さんは意外でも何でもないですが、 Toki弦楽四重奏団が入っています。このカルテット、名前を聴いたこともあるような気もしますが、 定かでない。高瀬さん、エルヴィス・コステロの向こうを張ったのかも知れない。

で、次は曲です。この前、ビル・フリーゼルのアイヴスとコープランドで驚いたばかりですが、 高瀬さんはダリウス・ミヨーで来ました。バルトーク・ベラ辺りなら、そーかなとも思いますがミヨーとはなあ。 もちろん、これはミヨー生誕 101年を祝ったものですかね(笑)。曲は「Scaramouche」。 それとピアソラの「Winter in Buenos Aires」が入っています。これは先年急逝された高柳さんに捧げられています。 他に他人の曲では、「Milestones」「Song for Che」と、シュリペンバッハの「Point」 。 近年の活動の中では、やはり異色の感が強いですね。全て日本人で固めた、というのも、 ドイツでの録音ということとアルバム・タイトルを考えれば、意図的なことでしょう。 カルテットと共演するとなると、かなり書かねばならない訳で、それからしても、 リキが入っていることが伺われます。

こうしてみると、何だか枠があるので、妙に縮こまったピアノかも知れないと思うと、 これが正反対だったりするんですよね。そりゃ、確かにそのような部分もありますが、逆に枠がある故に、 大胆かつ奔放に飛びまくっているように思えます。 前作「Alice」 の場合、マリア・ジョアンとニールス・ヘニング・エルステッド・ペデルセンとのトリオですから、 譜面はほんとにテーマぐらいぢゃないかというぐらいに、自由なものでしたが、 演奏はこのアルバムと比べると、かなり抑制されたものだと、今になって思います。 何となく、法律上は差別がないけど、生活上はいろいろある、ってことに通じるかも知れない。 その前のソロによる「Shima Shoka」 も、このような線上においてみると、 ソロだからこその自制が利いているとも考えられます。

となると、一体フリー・ジャズなりフリー・インプロヴィゼーションなりってのは、一体なんなのでしょう?  自由の代名詞のように思えるセシル・テイラーでさえ、白州で目の当たりにした上では、 共演者に充分過ぎるほど気を遣っているし、ソロでもユニット・ストラクチャーというぐらいですから、 しっかりした構造がある訳です。 言ってみれば、これは漁業協定などに拘束されない民族の方が、 より厳しい制約を自らに課しているのと近いかも知れません。 以前竹田賢一さんが書かれていた、「コード進行の大枠も、ビートも維持されてはいるのだけれど、 それらの拘束力がどんどん緩くなっていく感触」こそフリーの真髄なのであって、その拘束が無ければ、 形式を持つものと同次元なのです。 そのような点への、一つの明瞭すぎる解答が、このアルバムなのですね。ちゃんとした踏み台があれば、 より高みへ確実に昇れます。それを高瀬さん流のアプローチで、はっきりと呈示したものです。 つまりコンポジションとインプロヴィゼーションは、対立概念ではなく、表裏一体である、ってことでしょう。 このところコンプロヴィゼーションという造語でしか説明出来ない音楽が多いのですが、このアルバムもその一つです。

紫の地に、黄色の円、そしてその周囲に青の円環。この3者がいずれも白で明確に区切られています。 黄色がコンポジション 、紫がインプロヴィゼーション、青がその中間地帯ですね。 そして、それをきっぱり分けたところが、高瀬さんの明解さです。 クリントンがエリツィンに指南したように、このような明解さは、日本人に欠けているというのが一般的ですが、 ほんとにそうなのでしょうか。 乱暴な話ですが、例えばグローブ・ユニティーと山下トリオを比べて、どちらがきっぱりしてるでしょう?  あるいは写楽や歌麿の浮世絵と、レンブラントとどちらがはっきりしてるでしょう?  ま、某総理はそうかも知れないけど(失笑)。 というようなことを、高瀬さんは言いたかったのかも知れない、と思うのは妄想かなあ。 タイトルがタイトルだからなあ(笑)。

toshiya yoshioka / Apr.06,1993



新宿ピットイン・ライブ (Aug.11.1992)

というわけで、新装になってから初めての新宿ピットインでした。 あまりの奇麗さにあっけにとられてしまった。

さて、図々しくも最前列に陣取ったのですが、ステージを見るとマイクが一人分多い。 それもずいぶん低い位置でのセッティングです。何の楽器だろう?と考えていました。 姜泰煥はあぐらをかいてサックスを吹くのですよね。 途中の休憩時間に即席で作った高さ20cmくらいの台の上にあぐらをかきます。 異様に低いマイクセッティングにも納得。で、目線が客席の僕と同じ高さになっちゃうので、 約2mの間隔で、上述のにらめっこ状態になるわけです。(笑) 姜泰煥の音って大地から湧き出てくるような気がします。 もちろん循環奏法だからってこともありますが、あの演奏スタイル(姿勢)の影響も大ですね。

井野さんのベースも最初は高瀬さんに合わせていましたが、次第に姜泰煥の演奏に引き込まれて、 地を這うような感じになっていきます。なんだか擦弦楽器として先祖返りして行くみたいだ。 これに対して、高瀬さんは鍋蓋、金属皿の異物挿入で(笑)応戦します。 (あれは正にアルミの鍋蓋と皿でありました.....(^^;) でもピアノって地面から最も離れたところにある楽器なんだなぁ。 ダルシマや楊琴などの御先祖様ともずいぶん離れちゃっているので、先祖返りしようがない。 どうも高瀬さんのピアノだけが異質な感じを持ちつづけました。この緊張感も面白かったのですが、 やはりピアノという楽器の限界が際立ったような気もします。

僕としては、前半に演ってくれたチャーリー・ヘイデンの曲が良かったなぁ。 ヘイデンの「クロースネス」に納められた「エレン・デヴィッド」と「O・C」。 「エレン・デヴィッド」はヘイデンとキース・ジャレットとのデュオで演奏されていた曲だったな。 70年代ジャズの名盤、名曲の一つですね。なんだか嬉しくなってしまいました。 デュオの息もぴったり合っていて安心して聴けます。

そういえば、井野さんのスタイル(出で立ち)は、どう見てもC・ヘイデンを意識しているよなぁ。 ネクタイ姿といい。(笑)でも演奏の方はずっと過激だ。あんな過激な人だとは思わなかった。 擦る(普通の場所ではない)、叩く、撫でる等々ひととおりのことはやります。 さすがに噛るってのは無かったですが。(^^;)

13日には高瀬、井野、金大煥(Per.)のライブがありますが、これまたワクワクするような組み合わせですね。 実を言うとパーカッションの方が高瀬さんのピアノとは相性が良いような気がするのだ。

Tsutomu Sakai / Aug.11,1992



Gunther Klatt & Aki Takase play Ballads of Duke Ellington (TUTU CD 888 116)

このアルバムには、ビリー・ストレイホーンの作品が2曲3テイク含まれています。 それとクラットの曲が3曲4テイク。 テナーとピアノですから、デュオとしては比較的よくある組合せですね。というより、 定番に近いかも知れません。このアルバム、よほどどちらかあるいは両方の演奏者が好きとか、 エリントンのバラードが好きとかでなければ、結構ツラいかも知れません(笑)。 アルバムを通して、テンポが変わらないし(笑)。

何よりも、このアルバムでの演奏がごくオーソドックスな取組みだから、ですね。 なんら策を弄することなく、正面から曲の素材と勝負している訳です。 このように、どう考えても取っ付き難いアルバムなのですが、噛めば噛むほど味が出てきます。 基本的にアプローチが同じですから、各々の曲の持つ様々なファクターを、奏者がどう料理し得るか、 そして実際どう演奏したかを比べることが出来ます。

1曲目の『Prelude to a Kiss』 。これは、どうしたって、1曲目ですよね。 期待一杯でだんだん饒舌になるクラットのテナーに対して、高瀬のピアノは終始控え目です。
2〜3はクラットのオリジナルだから飛ばして(笑)、4曲目のストレイホーンの『Chelsea Bridge』。 複雑な和声進行を持つ曲ですが、その和声を生かした上に、自由に跳ね回る高瀬のピアノが印象的です。
次ぎは難曲『Lush Life』 ですが、最後にも別テイクが収録されています。 いかにも高瀬らしい出だしの本テイクですが、やはり難かしそうでありますね。テンションは高いのですが、 後半ちと安易な方へ身を潜めてしまうのが残念。 別テイクの方は、より散文的で気負いがないぶん最後まですっきり進んでいるように思えます。
6曲目は『Warm Valley』 。このテイクいいなあ。凛々しいクラットに、 コケティッシュな高瀬という取り合わせですね。緩急の案配が抜群です。これは、いろいろと勉強になります(^^;
7はクラットのオリジナルで、8と9は『Sophisticated Lady』と『In a Sentimental Mood』 という超有名曲。 後者は11に別テイクもあります。
8は、クラットのソロから出ますが、これも素晴らしいテイクです。 二人がふわっと浮き上がるように聴こえます。

toshiya yoshioka / Aug.06,1992



Maria Joao ・ Aki Takase ・ Niels Pedersen / Alice (enja CD 6096-2)

Joaoですが、アルバム冒頭のMCでも「ジョアオ」と言っており、ライナーにもこの表記ですが、 確か前作では~ がついていたんですよね。ジョアオ・ジルベルトとは普通書かないんだけどなぁ。 きっと、「ジョアン」と「ジョアオ」の中間の発音なのでしょう。 ありゃ、ペデルセンの方も「Orsted」になってる。 御存知のように「φ」みたいな字で「エルステッド」だったはずだが。ま、いいか。

1990年10月、ニュルンベルグの「東西ジャズ祭」に出演した時のライブです。 ジョアオ/高瀬デュオを発展させたユニットで、高瀬さんの発案でペデルセンに加わってもらったそうです。 ポルトガル、日本、デンマークと、あまりジャズとは関係なさそうな国の出身者ですが、 これが現在のジャズの姿なんですね。「ニューオリンズの伝統に戻る」なんて言ってる人の気が知れません。 戻るのは勝手ですが、発展しようという意志もない音楽に魅力なんてないですよね。

デュオに比べて、やはりベースが加わった分、ピアノの負担が減り自由に動けるようになったように思えます。 もちろん、逆に二人だけの自由度は減少している訳ですが。それにしてもペデルセンという選択は、鋭いです。 的を射たというのはこのことでしょう。

高瀬アキにとって、ベースを入れたアルバムは、10年振りぐらいではないでしょうか。 やはりこの10年間で、彼女の音楽が一つの段階に到達し、 ベースが入ったぐらいぢゃそう簡単に動じなくなったのかも知れないし、 次のステップへの一歩なのかも知れません。

toshiya yoshioka / Mar.04,1992



味噌醤油キムチ・ライブSep.10.1991

はい、行ってまいりました。昨晩(9/10,1991)の新ピ、高瀬アキのピアノ・ソロ。 何でも新ピ出演は、昨年夏のミロスラフ・ヴィトウス(“ブロディ”竹田賢一さんも共演してます)とのデュオ以来、 ちょうど1年振りだそうです。 ソロということだったのですが、行ってみるとゲストとして韓国のパーカッション奏者金大煥もクレジットされてました。 ラッキー!それぞれのセットが前半ピアノ・ソロ、後半金とのデュオという構成でした。

1セットの幕開きは自作の「Meraviglioso」。続いて「Shima Shoka」とロリンズの「Valse Hot」 のメドレー、 そしてモンクの「Well You Needn't」。 何にもまして、迫力に驚かされました。その迫力というのも、トルクが太いというタイプですね。 6000ccのV12という雰囲気。楽々とピアノを持ち上げてしまいます(字面通りにとらないよーに)。 ところどころでピアノの箱を叩いたり、手拍子を打ったり、フットストンピングを入れたりしますが、 そのタイミングが絶妙。はっとさせられます。

その後、金を加えてのフリー・インプロヴィゼーションを2テイク。これが良かった。 今までのいわゆるパーカッションとはまったく異なるコンセプトです。 楽器は木の胴に革を張った太鼓とロートタム、それに早鳴りのドラの3種のみ。  それに対して叩く方は、まず右手の親指と人指し指でマレット、左手の同じ位置に大太鼓のバチ、 そして両手とも中指と薬指の間にドラムのスティック、薬指と小指に箸のようなバチの都合6本を使います。 そしてドラム・スティックで革を叩き、箸スティックでフレームを叩くというようなこともやります。  打ち出されるビートはアップビート。従来のジャズとは正反対のものです。 そして地鳴りのように響きます。

それに挑発されるように、高瀬のピアノも「やっぱりピアノは打楽器だよなぁ」と思わせる奏法で、 大胆なデュナーミクを活かし、太鼓と渡りあっていました。 細かいビートを合わせるというのではなく、大きな波の部分で合っているだけで、 細部では逆にずれているところが面白かった。

休憩中にふと後ろを見ると、彼女のお師匠さんである山下洋輔をはじめ、サッちゃん、 ホルスト・ウェバーなどで盛り上がってました。ポール・モチアンに似た人もいたのですが、あれは本人かなぁ?

2セット目は、「Perdido」 から。その後再びモンクの「Reflections」 、 そして「Shima Shoka」 で度肝を抜かされたトレーンの「Giant Steps」 とジャズ・スタンダードの連発でした。 スタンダードの演奏というのは、曲が花瓶であり、それにいかに花を盛るかという例えになります。 バラや百合を挿すのが一般的でしょうが、ナスやカボチャを乗せるというスタイルや、花瓶を倒したり、 逆さまにしたりというのもあります。 しかし、高瀬の解釈は、花瓶自体を一度粉々にし、それを再構成して、 元の絵柄を生かしてまったく異なる形の花瓶を作りだし、それに生けるというスタイルです。  この手法は、高瀬だけのやっているものではありませんが、トップクラスであることは間違いありません。

CDで聞くより、ライブでははるかに饒舌です。言いたいことが湧き出てくる上に、 それを表現する術を自分のものにしています。これは凄いです。羨ましい限りです。 2セット後半のデュオも、1セット以上に充実した内容で、堪能出来ました。 これは今年のライブ・ベスト10入り間違いなしです。

toshiya yoshioka / Nov.11,1991



Aki Takase / Shima Shoka (enja CD 6062-2)

 1990年7月の録音で、enjaからは4枚目(うち1枚は、ジョアン・マリアとのデュオ) のアルバムです。先日紹介したギュンター・クラットとのデュオ・アルバムもTUTUですか ら同系列で、これも入れると5枚目の海外でのアルバムということになります。

 80年代初めに、森山威男を含むトリオで、山下洋輔に続いてヨーロッパ・デビュー (その間に山下トリオを退団した坂田明が、自己のトリオでツアーをしています)した高瀬ですが、 一昨年辺りから一段とパワー・アップしたようです。 ピアノ・ソロは確か83年録音の「Perdido」 以来でしょうか。

 先日のマーカス・ロバーツと、つい比べてしまいますが、とにかく素晴らしいアルバムです。 全13曲中、7曲がオリジナルで、矢野顕子と山下洋輔の中間に位置する彼女らしい作品です。  改めて聞くと、彼女をフリージャズ・ピアニストとするのは、間違いであるかも知れないと思いました。 噴出する情念を表現する一つの結果として、フリーの領域に踏み出すことはありますが、 いきなり何がなんでもフリーで、ということではありません。

 他の6曲は、カーラ・ブレイ、アレクサンダー・フォン・シュリペンバッハ、デューク・エリントン、 ジョン・コルトレーン、チャーリー・ミンガス、ソニー・ロリンズのジャズ・スタンダード、 あるいはそれに類する作品を取り上げています。  その中でも、彼女がコンスタントに取り上げているエリントン・ナンバー (今回は「Rockin' in Rhythm」 )はさすがです。ばりばり転調しますが、この曲の持つ品を損なわず、 自由かつ楽しい演奏となっています。
 また、トレーンの「Giant Steps」 は、このような解釈があったのか、と目を見張らさせるものです。

 ピアニストとしては、グレン・グールドのテクスチャーに、アルヘリッチの情熱を感じます。 時には笑い、時には泣き、また歌い語るというピアノです。 以前に比べて、1曲当たりの演奏時間は短くなっていますが、密度が増し、 アルバムとしてもカラフルになったように思えます。

toshiya yoshioka / Jan.26,1991



Gunther Klatt & Aki Takase play Ballads of Duke Ellington (TUTU CD 888 116)

このところ高瀬アキの活躍振りが目立ちますね。 先日ECMからリリースのシュリペンバッハのベルリン・コンテンポラリー・オーケストラでも、 ソリストとしてフューチャーされていました。今回はクラットのテナーとのデュオで、 エリントンを取り上げてくれました。 90年4月25〜6日のミュンヘンでのスタジオ・ライブ、プロデュースはペーター・ワイズミュラー。 これまた例によってドイツのマイナー盤、国内盤はどうなるのでしょうか? でも、最近は、よもやこんなものが、というのが堂々国内盤で出ますので、 これも案外早く日本中で買えるかも知れません。

これはまったくの個人的意見なのですが、エリントンのバラードはやはりインストに限ります。 あんな妙な旋律に、ぴったりくる歌詞はありません。もっとも、英語の聞き取りは苦手なので、 それ以前の問題なのでしょうが(失笑)。 しかし、このアルバムのような演奏を聞くと、その意を強くします。

「In a Sentimental Mood」「Sophisticated Lady」 という有名曲とともに、 何よりもホッジスのフューチャーリング・ナンバーである「Warm Valley」 が入っているのが嬉しいです。 また、珠玉の、としか言えない「Lush Life」「Chelsea Bridge」 も収録されています。

クラット=高瀬のコンビは、息もピッタリ。落ち着いたインプロヴィゼーションです。 表情豊かなサックスに、しっとりとピアノが絡み着きます。しかし、双方がお互いにもたれあってないので、 好感が持てます。70分ちょっとの長丁場ですが、まったく飽きることはありません。 久しぶりに夜中に一人で聞きたいアルバム。ここは一つジャスミン茶かなんかで決めて欲しい(笑)。 飲めない方でも大丈夫。

toshiya yoshioka / Dec.13,1990



吉岡俊哉 さん、坂井努 さんのアーティクル(1990-1997)は PC-Van JAZZ&FUSION に投稿したものを提供戴いたもので、 このページ用に再編したものです。


Last Revised : Jul.10.1999