Writings




( INTERVIEW : August 12, 1995 at Doutor Coffee in Kannai, Yokohama )
高瀬アキ : 抱負と提言

 1995年の夏、高瀬アキは夫君のアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハと共 に来日し、各地でデュオ、テンテットなどの編成で演奏活動を行った。多忙なスケジュー ルの合間に二人から話を聞くことができたが、ここでは高瀬アキにスポットをあてて、彼 女の忌憚のない言葉を紹介しよう。


ドイツ生活の収穫

 高瀬アキは、1981年に初めてベルリン・ジャズフェストに呼ばれて以来、たびたび ヨーロッパでも演奏活動をしていた。1987以降、ドイツに住んでからは当地を拠点と して演奏活動を行っている。まずその辺のところから。
 「ドイツにいていちばん良いと思うのは、音楽そのものについてではありませんが、チ ャンスを人の力じゃなくて自分自身で見つけていかなければならないということです。日 本にいる時はラッキーだったのでしょう、ほっといても仕事がきていたし、仕事をしよう と思えば簡単にできました。あの広いヨーロッパで暮らしていて、自分自身が何を考えた いのか考える時間が十分持てたと思います。もうひとつは、ミュージシャンをサポートし てくれる国の経済援助がある。たとえば私がストリング・カルテットで何かをやりたい、 アレックス(夫君のアレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハのこと 注1)みたいにオ ーケストラで何かをやってみたいと思ったとする。それには時間とお金がかかります。日 本でもそういった気持ちを持っているプレイヤーはきっといると思うけど、日本ではそれ を援助するところはほとんどないでしょう。スポンサーというのは儲からないと援助しよ うがないから、そこからして無理があるじゃないですか。純粋に何かをやってみたいと思 う人にとってみれば、日本の中ではとても困難ですよね。結局、いかに儲かるものを作る か、そう考える人にとってはいいかもしれないけど、純粋に音楽を捉える人にとっては正 直言ってとても困難な道があると思うわね。
 八年間向こうにいて良かったのは、自分が本当にやってみたいと思うことがもしあった ら、少なくともそれにトライするチャンスがあるということ、それをサポートしてくれる バックがあること、それが大きかったですね。
 アレックスとかミシャ・メンゲルベルグ(注2)とかを見ているとミュージシャン自身の力 で立ち上がっている。自分達でやりたいことは自分達でつくる。たとえばフェスティヴァ ルでも自分達でつくる。日本ではビール会社かどこかがスポンサーとなってお金を出して、 アメリカ人を呼ぶといったフェスティヴァルはあっても、ミュージシャン側からオレ達で、 自分達で何かをつくっていこうということがなかなかできない。それはミュージシャン側 が悪いとはいいきれない。状況が違いますから。しかし、これからは若い人、若いかどう か四十代の人も自分達でどんどんつくっていかなければいけないと思う。音楽をもって問 いかけていかれるように、自分達も動かないといけない。じっとしているだけではいけな いという気がします。それは非常に大変なことだということはわかります。それでも動か ないと。たとえば梅津和時さんみたいに自分でプロデュースして、「大仕事」という毎日違 ったプロジェクトで連続ライブをやるなんて人はごく稀なわけでしょう。私はそういう点 で彼を尊敬します。あれはすごく大変なことだけど、彼がやりたくてやっていることだと 思うの。彼はそういう意味の顔も広いし才能もあると思う。もうちょっとそういう人が出 てきてもいい。まれに意欲的に動く人が出てきても、それを取り上げて論じたり紹介した りする人もほんの一部ですよね。大半は、本当はイヤでもレコード会社の下でゴマをすっ ているのが多いのじゃないかしら? それが残念です。」

 ドイツに住む彼女には日本の状況が、外側からより客観的に捉えられるのだろう。ヨー ロッパと日本の環境の差を強く感じているようだ。もちろんすべてがすべてヨーロッパの 方がいいというわけではないし、文化的土壌も違う。しかし、日本のジャズの未来を考え るとき、彼女の言葉を真摯に受けとめなければならないと思う。

ドイツ新世代の動き

 ドイツの若手は具体的にどのような動きをしているのだろう?
 「ヨーロッパにもいろんな人がいますから、皆が皆クリエィテヴだとは思わない。とい うかむしろ、一部であると思う。それでも最近では、若くてこれからという人がアクティ ヴに、非常に強い力で何かを動かしていこうとする力をドイツで感じる。それからすると、 日本でもアメリカの過去の栄光であった人たちの真似をするだけではなくて、自分達で何 ができるのかということに、どんどん足を突っ込んでいってほしいというのが正直な思い です。
 たとえばルディ・マハール(注3)、来年彼とハン・ベニンクと私でツアーをするのですが、 ルディなどはジャズの基本となってきたモンクとかチャールス・ミンガス、オーネット・ コールマン、エリック・ドルフィーなんかをものすごく聴きこんでいる。だけど自分の曲 でインプロヴァイズすることにもものすごく情熱がある。私も大学で教えているので、生 徒達がどんどんCDを送ってくるんです。最近、面白いですよ。自分達で曲を書いて演奏 しようという意欲が感じられる。中に一曲オーネット・コールマンをやっているとかいう のはあるのだけど、まずスタンダードをなんとなく捉えて演奏しましたというのはないで すね。取り入れかたにはボーダーがなくなってきたというのかな。自分がいいと思ったも に対し、手に入れたいと思う、とすれば影響を受ける。そうしてやがては自分の個性なり、 一つのものになっていくと思うの。
 日本の場合、まだジャンル分けしたがるでしょ。抽き出しがあって、これはマイルスが やってきたこと、それは誰がやったこと、あれは何々のとかいって追っかけるというジャ ズの見方でしょう。ですから『あの人はコルトレーン風だね』というようないい方がいま だに聞かれる。ヨーロッパでもそういうことはあるかもしれない。けれども、自分がどう でありたいかという考えに立って音楽をやるべきだと思うの。その中で、吸収していくべ き人間や音楽いろいろあると思うのですけど。
 もう一歩突っ込んで言うと、人間がインデペンデントだから、『オレだ』というところか ら始まるというキャラクターもあるでしょう。そういう国民性といいいますか。まず自分 という人間が誰で何をやっているのかということに執着するから、誰かに似ているといわ れるのは非常に不愉快だということになる。『あら、嬉しいわ』なんていうことは絶対ない。 そういわれたら侮辱されたとさえ思うんじゃないかしら。」


ドイツとオランダ

 ヨーロッパといっても広く、それぞれの持ち味は異なっている。それをドイツと隣国オ ランダを引き合いに出して語ると…
 「オランダ人はユーモラスというか。ドイツ人はマジメなんですよ。音楽に対する取り 組み方もマジメだし、マジメすぎるくらいカタイ。だから、ストレートにそれがよく出て いる部分と、シンドイ部分がある。ドイツの音楽そのものは過去から見てきてもそうでし ょう。オランダはコケているというかユーモアに富んでいる。ミシャにしてもハン・ベニ ンクにしても。それがオランダの国民性だと思うのです。そういうものがちゃんと出てい るから、私はすごく好きなのです。イタリアならイタリアなりの、フランスならフランス なりの、というように皆違うでしょ。そういう意味でオランダ人が作り上げているジャズ というのはオランダ人特有のユーモアでもって音楽を、ジャズを見ている。」

アレンジへの思い

 高瀬アキは、ベルリン市の依頼によってアレックスが音楽監督となって組織したベルリ ン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)の旗揚げから参加し、現在も コ・リーダー的な存在として活動に深く関っている。BCJOは世界有数のミュージシャ ンに作曲を依頼しレパートリーとしてきたが、アレックスはもちろんミシャ、そして高瀬 アキの曲もレパートリーにある。近年、彼女は日本人メンバーでセプテットを組織し、そ れでヨーロッパを・ツアーを行うというように、大きい編成にも意欲的だ。
 「ドイツに来てから急にというわけではないんです。83年頃からドイツに渡る頃まで、 新宿ピットインで時間があるたびに十人近い編成でやっていたんですよ。こないだの編成 (アレックスのテンテット)みたいなことをね。自分の曲をアレンジしていましたけど、 その頃はアレンジもヒヨコみたいなものでした。やってみたかったという気持ちだけで。 最初にオーケストレーションを書いたのはそれより少し前で二十五、六の頃なのですが、 青山にあったロブロイという店のママさんがある時、何を思ったのか、宮間俊之とニュー ハードと、アレンジャーとして四人のピアニスト、それにヴォーカリスト五人という企画 を催したんです。渋谷毅さん、佐藤允彦さん、鈴木宏昌さん、それから私の四人が歌手の ためにアレンジを書いて競うといった趣向でした。私は安田南さんのために十曲位かいた かな。ママにいわれて書くことになったけど、そのときはオーケストレーションのことな んて何も分からなくて。それで渋谷さんに、これでいいですかって見せに行ったのを覚え ている。佐藤さんが監修・まとめ役でしたね。その前後に東京キッドブラザースの芝居で 内田裕也さんに頼まれて音楽を担当したこともありました。桐朋に行っていた頃も芝居の 音楽は書いていたし、それはジャズとは直接関係ありませんでしたけれど。書くことには わりと興味があったんです。
 ですから、アレンジ、オーケストレーションは特別なことではなかったんですね。ただ、 私の場合は秋吉敏子さんみたくオーケストラにはあまりこだわらなかった。今もそうです けど。オーケストラとスモール・コンボの間、十人編成位が私はいちばん興味があるんで す。オーケストラになっちゃうと何はともあれ絶対に鳴るサウンドが必要でしょ。一人一 人が出てこれない。私は『七人の侍』じゃないですけれど。今、なぜセプテットをやるの かというと一人一人の個性を出すものを書きたいからなんです。それに助っ人として六人 が頑張って後ろから押すような音楽をやりたい。オーケストラになると人数が多いからそ うはいかない。自分は作曲はするけど作曲家じゃないと思うんですね。ピアニストであり、 だけど曲も書きたい。カーラ・ブレイはピアニストで、でも、あの人を考えるとき、作曲 家としての印象の方が強いと思うの。秋吉敏子さんにしてもどちらかというとピアニスト というよりはオーケストレーションの方が主だと思うの。私はその反対かな。でも、向こ うに行ったお陰でまた興味を持つようになりました。93年のベルリン・ジャズフェスト の話がきたときに、日本人のセプテットでやっと実現できました。」


 BCJOに提供した高瀬アキの作品のヨーロッパでの評価はどうなのだろう。
 「批評の一部で、日本的なものをよく言われます。自分ではどこが日本的なのかわから ない。たぶん感じる場所が違うのでしょうね。今後もどんどん書いていきたいと思います。 やっぱり、オーケストラはどんどん書いている人の勝ちというか、上手くなりますから。 このごろ思うのですけど、オーケストレーションっていうのは本当に自分でコレだってい うアイデアがないと書けないんだなあって。そういう意味で、私はもっと勉強しないとダ メだって。こういう感じでいこう、ではダメなんですよ。文学に似ているかな。アブスト ラクトなアイデアがあるだけではダメで具体的な出したいものがないと。頭の中でそれが ちゃんと見えている人が素晴らしい。ミシャとかアレックスとかすごいなと思うのは、出 すのは完全にこの音だという強い信念があるみたい。コンセプションがすごくはっきりし ている。それからすると私自身はまだまだですね。彼らのようになるにはやっぱり時間が かかります。セプテット位のものを書くのが好きなのは、十七人のフルバンドより七人く らいのコマで動かす方が私には見えやすいから。十七人ともなると強調させていきたい音、 それはこれなんだとものすごく強力に思わないと書けないんです。私は自分の中でたりな いものもよくわかりますから、ピアニストとしても書き手としても、もっと勉強していき たいと思っています。」


注1:アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハ(p)
1938年4月7日ドイツ、ベルリン生まれ。ヨーロッパ・ジャズ界の重鎮。
十歳からピアノを始め、ケルン音楽大学でベルント・アロイス・ツィンマーマンなどに学 ぶ。1966年、グローブ・ユニティを結成しベルリン・ジャズ祭に出演し、センセーション を巻き起こす。このグローブ・ユニティでは1980年に日本公演を行っている。FMP設立 にも関わり、ヨーロッパでのフリー・ジャズ・ムーヴメントの主要な立役者でもある。1987 年にはベルリン市の依頼でベルリン・コンテンポラリー・オーケストラ(BCJO)を結 成、音楽監督を務める。1996年にはBCJOで日本ツアーを行った。小編成のグループで は、エヴァン・パーカー(sax)、ポール・ローヴェンス(ds)とのトリオが良く知られているが、 これは大変息の長いユニットで今でも活動している。今は、トニー・オックスレー(ds)との デュオに意欲をみせている。
ジャズ批評No.88, No.89, No.90に筆者によるインタビュー記事が掲載されている。

注2:ミシャ・メンゲルベルグ(p)
1935年6月5日ソ連、キエフ生まれ。ヨーロッパ・ジャズ界の重鎮。
オランダが生んだ名指揮者ウィレム・メンゲルベルグは大おじである。
1960年代からジャズの演奏を始める。エリック・ドルフィーの「ラスト・デイト」での共 演はあまりにも有名。1960年代半ばにはフルクサスの活動にも参加している。1967年には ハン・ベニンクらとICPを設立。ヨーロッパでのフリー・ジャズ・ムーブメントの主要 な立役者のひとりである。ICPオーケストラでは1982年に公演を行っている。1980年 代の活動では、ICPオーケストラによるハービー・ニコルス、セロニアス・モンクを取 り上げたプロジェクトが知られる。また、デューク・エリントンを取り上げたプロジェク トも行っている。今はソロ・プレイに重点を置いているという。近年はたびたび来日して、 豊住芳三郎とのデュオでツアーを行ったりしている。
ジャズ批評No.99, No.100に筆者によるインタビュー記事が掲載されている。

注3: ルディ・マハール(bcl)
1966年12月23日ドイツ生まれ。バスクラリネットのスペシャリスト。
近年、注目を集めている若手である。高瀬アキとのデュオで1998年にベルリン・ジャズ祭 にも出演し好評を得た。Enjaからこの二人のデユオのCDが発売されている。また、自己 のユニットなどでも意欲的に活動している。



初出:ジャズ批評No.86 / 1995 Summer (加筆訂正してあります)

横井一江 / Sep.05,1999







( INTERVIEW : August 02, 1994 at New Dug in Shinjuku )
高瀬アキ : ベルリン・ジャズ・セプテットを語る

 1994年夏、高瀬アキはベルリン・ジャズ・セプテットで日本をツアーした。 メンバーは高瀬アキ(p)、五十嵐一生(tp)、林栄一(as)、片山広明(ts)、板谷博(tb)、 井野信義(b)、小山彰太(ds)。7月20日、私も新宿ピットインで久しぶりに彼女の演奏を聞いた。 その時、彼女は作曲に興味を持っているように思った。 また、今までに聴いた彼女の演奏は小編成のグループが多かったが、 ラージ・グループでの演奏にも意欲を示しているようにも感じた。 彼女に話を聞く機会を得る事ができたので、その辺のところを聞いた。以下、そのごく一部を紹介する。


 まずはそのセプテット結成のいきさつについてから。
 「昨年のベルリン・ジャズ・フェスティヴァルに呼ばれることになって、初めはフレッ ド・フリスとのデュオをやるつもりだったの。ところが、日本人特集という看板がジャズ・ フェステヴァル側にあったので、他のプロジェクトはないかと言われた。自分が今やりた いことがあるとすれば、管楽器を入れたい。それも一人ではなくて四管ぐらいで。もっと 多くてもいいなと思うくらいだけど。とにかくセプテット(この時のドラムは日野元彦)は、 そういうきっかけで作られたわけです。あのバンドに関してはピアノを弾くことにはあま り興味がない。プロジェクトは幾つかあって、自分のピアノを弾くというプロジェクトは 持っているので、セプテットに関しては自分のやりたい曲でピアノでは出せない音を管楽 器に人に出してもらいたい。だから、曲を書く事がものすごく大事で。曲を書くのだけど、 作曲された場所とインプロヴァイズされているところの区別が出来る限りわからないもの を書きたい。どこまで書かれているのか、どこまでそうではないのかというバランスをす ごく気にしている。
 昔、ギル・エヴァンスの『イン・トゥ・ザ・ホット』を聴いた時、どこまでギルが入っ ていて、どこからセシル・テイラーなのかわからなかった。あれを聴いていると、どこま でが作曲されていて、どこまでがインプロヴァイズか、かなり危ういでしょ。 ミシャ・メンゲルベルグがわりと最近出したCD、といっても三、四年前になるかしら、 あれはね、完全に曲が書かれているところがある筈なのだけど、あるところから先は見え ない。それは書いたものを演っているのか、インプロヴァイズでそうなっているのかわか らない。ジャズに関しては、そのへんがこれからの鍵だと思っているのね。コンポジショ ンとインプロヴィゼイションの融合が、ミクスチャーされたもので、簡単に言えば、そこ にリミットがないということ。もう一つ言うならば、そこで何が起きたかということ。ラ イヴにおいて、その場で何が起きるかわからない良さがあるからジャズだと思うの。特に セプテットみたいに七人になったときには、私自身は七人をまとめるためのガイドをする。 そこから先はどうぞお好きに演ってくださいと。ただ書かれた譜面を皆で弾くんじゃつま らない。」

 その譜面には抽象的な記号を用いた図形譜もあるという。
 「抽象的な図形を書くことによって出てくる音が皆違う。とりあえず音楽が集団で聞こ えるか、バラバラで聞こえるか大きく分けて抽象的な象形文字的なものは書くけれど、そ れから先はその人が感じている音を出せばいいような譜面をどんどん作りたいし、現在も そのような譜面がかなりある。それから、ここはどうしてもハーモニーで鳴らしたいとい うところは書く。そして、あるところから先は自由参加と書くの。自由参加というのは、 私を除く六人は、ここで自分がこういうふうに弾きたいと思った人が参加すればいいとい うこと。ミシャの影響もあると思うけれど、ある約束事のメロディがあればそれを分解す る。だから、毎回違うのですよ。その方が演っている方も飽きないし。そのときに感じた ものが繰り返されないから。繰り返しはつまらない。」
 ジャズの場合、演奏の際にはパート譜を用いることが多いが、セプテットでは全員スコ ア譜を用いるという。
 「誰も自分のパートだけで音楽は演奏できない。スコア譜だと周りが何を演っているの がわかる。ジャズというのは一人で演る訳ではない。皆で何かをやろうとしている場合に、 全員が何を欲しているのか見えないで、一人でしゃべっていてもしょうがないと思うの。 これからもスコア譜でいきます。」
 彼女はドイツだけではなくヨーロッパで多彩な活動をしている。ヨーロッパはジャズ祭 も多く、コンサート・ホールやジャズ・クラブと並んで重要な活動の場だ。ドイツのジャ ズ祭に行ったとき、向こうの聴衆はかなり敏感に演奏者の音に敏感に反応しているように、 私は感じた。この点についても彼女に尋ねてみた。
 「そうね…、ヨーロッパの聴衆はお金を払って聞きに来ているんだという意識がある。 自分達も参加しているという意識で聴いている。静かに音楽を聴くという態度はいいと思 うけれど、日本の聴衆はちょっとおとなしすぎるかもしれない。自分もまな板の上に乗っ て聴いて、自分も感じたら、感じたことを表現していいと思う。」
そして、こう続けた。
 「CDというのは記録でしょ。いちばん大事なことはその場に行って聴いてみるというこ と。演るほうもしっかり演って、聴く方もしっかり聴かないと、日本のジャズは死んでし まうわよ。(笑)」
 セプテットはこの後、1994年10月に再びヨーロッパをツアーし、1996年秋に もセクステット(高瀬アキ、林栄一、ウォルター・ガウシェル(片山広明が予定されていたが 急病で倒れたため)、佐藤春樹、井野信義、小山彰太)でツアーを行った。また、セプテット のCDはオーマガトキから発売されている。


初出:ジャズ批評No.82 / 1994 Summer (加筆訂正してあります)

横井一江 / Sep.05,1999



横井一江さんのアーティクルは『ジャズ批評』に掲載されたものを今回加筆訂正してくださいました。 ご提供くださった横井さん、そして掲載をお許しくださいました『ジャズ批評』の岡島豊樹さんに お礼申し上げます。ありがとうございました。


Last Revised : Sep.12.1999