Writings

■ 高瀬アキ 2003帰国ツァー ■

赤と白の大きな風船が、ふたつ
『ブレ・BRECHT』 多和田葉子(翻訳語り)+高瀬アキ(ピアノ)
(シアターカイ2年がかりの<ブレヒト的ブレヒト演劇祭>参加作品)
written by 黒田京子

高瀬アキ&多和田葉子「ブレ.BRECHT」

2003年11月24日。死刑廃止集会のアトラクションでの演奏を終えて、タクシーで駆けつけた先は両国の劇場。免田栄の生の声も聞いた後で、なんとなく重い気分の私が最初に目にしたのは、暗い舞台の上に光る赤と白の大きな風船だった。そして、黒い影がふたつ。前回(2001年9月)の『ピアノのかもめ/声のかもめ』(チェーホフ演劇祭・番外公演、両国シアターカイ)は古い蓄音機から音楽が流れるという静かな始まりだったが、赤と白の風船がぶんわりと上下する光景は、まるで少女たちがこれから音遊びと言葉遊びをしますよと語っているかのような、印象的な始まりだった。

冒頭のセッティングは、下手に机と椅子が置かれ、そこに多和田さん。上手のピアノの所にはアキさん。多和田さんがテキストを読み始め、時折ナイフの柄で机を叩く。ピアノが絡んで進むうちに、そのナイフの音でカットアウトする予定だったように見受けられたエンディングの息が合わない。(多分互いによく聞こえなかったのだろうと思う。実際、その事態は上手く処理されていたが。)

全体に、音楽はその方法論が明確で、自由な即興演奏からテンポのあるものまで、曲調にも配慮が行き届いている。プリペアド、内部奏法、ピンポン玉をピアノに投げ入れる、決まった短い言葉を差挟んだコラージュ、風船を鞠のようについて一定のリズムを出しながらのラップ、ファッツ・ウォーラーのメドレー、クルト・ワイルが作曲した曲もいくつか散りばめられていた。多和田さんもくるみが入った箱を振ったり、グロッケンを叩いたり。

語りは日本語、ドイツ語、あるいは日本語とドイツ語が混ざったもので語られる。英語もちょっとあったかもしれない。リズムや音に乗った言葉遊びもたくさんあった。その口調はやや早口で、ほとんど感情移入はなく、叙事的あるいは無機質な肌触りだった。

そしてこの約1時間半に渡る公演は、文句なく面白かった。料理に例えれば、アキさんは出来上がった素材を、いろんなスパイスを使っていかにおいしい料理にするかということに心を払い、多和田さんは一つ一つの素材を切り刻んで、ものすごく吟味したものを提供したように感じる。

このデュオを聞くのは、今回が二度目になるが、前回のチェーホフの時は、言葉(テキスト)の存在よりも、音楽の豊かさと強さを感じたことを憶えている。言葉との関わりにおいて、よく考え抜かれた音の在り様、音楽の様々な方法がそこにあり、目の前に繰り広げられたパフォーマンスが、私にはものすごく新鮮だった。まるで何が入っているかわからないわくわくする宝箱から、いろんな音楽が出てきたような感じだった。おそらく日本でこんなことをやっている人はいないのではないかと思う。それくらい刺激的だった。

そして、今回。確か多和田さんがソロで朗読したプログラム7番目の、ブレヒト「マリーの思い出」だったと思うが、本人が”誤訳”として語った日本語とドイツ語がちゃんぽんになったテキストは、もう圧倒的にその内容が面白かった。(ドイツ語が完璧に理解できる人にはもっと面白かったらしい。)語り口も軽妙で、ちょっと皮肉っぽい感じが、例えばプログラム10番目の「論語を読むブレヒト」で、ブレヒトになる時には眼鏡をかけて読んでいた時よりも、ずっとブレヒト的に感じられたのは私だけだろうか。

というよりも、21才の時(1981年)大学の卒業式にも出席しないでインドに旅立ち、22才の誕生日には酷暑のパトナ駅でボンベイ行きの列車を待っていたという多和田さん。最終目的地であったハンブルグ(現在も在住)に来た目的あるいは関心事は、母国語と他の言語の溝に身を置いてみることだったという。言ってみれば、この朗読にはそうした自分を賭けた多和田さんの態度がはっきりと打ち出されていたように思うし、文学者としての多和田さんの存在がくっきり浮かび上がった時間が確実に在ったように思う。

この一人での朗読のみならず、すべてのプログラムを通して、私はブレヒトと真っ向から向き合った多和田さんを非常に強く感じた。公演後、多和田さんは実はブレヒトは嫌いだと聞いたが、それはきっととことんブレヒトに付き合ったから出た言葉だろうと思う。

それに対して、アキさんはできるだけブレヒトが絡んでいる曲は演奏しない方向で考えたということだったが、ブレヒトへの対し方は多和田さんの方が断然深かかったと言えよう。アキさんもまた1986年にドイツへ単身飛び込み、現在もベルリン在住の人だが、どう考えてもおよそブレヒト的ではない。

私がこの文章の中で二度使ったブレヒト的という言葉は、実に曖昧な表現で何事も言っていないとも思うが、要はブレヒトという対象とどれくらい対峙できている内容になっているかが、このような公演ではまず問われていると私は思う。その意味で、アキさんよりも多和田さんの方がそのテーマにはっきり応えていたと思う。

このように、前回のチェーホフの時よりも、文学者として、そこに立っている多和田さんを強く感じた。それは、自分の言葉でものごとを考え、書き、かつ語る、ということの強さだろう。だからといって、アキさんに音楽家あるいはピアニストとしての存在感がなかったかというと、決してそういうことではない。チェーホフの時もそうであったように、その屹立した音も、音楽のヴァラエティも、すばらしかった。ただ、前回を見ている者にとっては、既にその方法は新鮮には映らない部分があり、対象に切り込んでいない分、いろんな色の絵を見たけれど、深く印象に刻まれる絵が残ったようには感じられなかった、ということなのかもしれない。

ただし、多和田さんは文学者として在ることが前提であるとしても、私たちには目の前の舞台に立っている語り手だ。チェーホフの時は正直言って語り手としては首が下を向いてしまった私だが、今回の公演ではその語り口はいわば多和田さんと等身大なのかもしれないと感じた。

が、それでも語り手としての多和田さんの耳と呼吸は、音楽家の、少なくともアキさんのそれにはまだ追いついていない。だからどうしても音楽が言葉に合わせるような感じになってしまう。全体に、アキさんが多和田さんに合わせた感じになってしまう。この時、多和田さんは言葉を音として聞いていない。文章の区切りや言葉の意味の方が、多和田さんの頭を支配していて、共に舞台に立っている演奏者であるアキさんの呼吸を聞いていない。つまりアキさんの演奏が聞こえていない。それはわずか0.5秒くらいの間だったりするのだが。

ここには言葉を音楽的に聞こうとする耳と、文学的に解釈しようとする目、がある。音であろうと意味の付いた言葉であろうと、生きた舞台を創るには、その相手の呼吸を聴き取ったり、気配を察したり、今そこに生まれている空間の見えないベクトルを感じ取ったりする力が要るのだ。(これはいわば即興演奏をするのに必要不可欠なことと言ってもいいかもしれないし、そうした身体を身につけるには、やはりある程度の場慣れと訓練が必要だと思うが。)あるいは単純に相手への配慮や思いやりのようなものと言ってもいいかもしれない。ともあれ、私にはそこがとても残念に感じられた。

ところで、多和田さんは何故語りいたいのだろう?私にはそこのところが、つまり語り手として立ちたいという動機が、今ひとつよくわからないでいる。室内で孤独な作業をする作家が、公衆の面前で自分の作品を読んで聞かせるという行為は、多和田さんにとってどういう意味があるのだろう。言うまでもなく、ピアニストとしてそこに在り、自分の音を出して、私たちにその音を届けたいアキさんには、私はそれをストレートに感じることできるのだが。

音と言葉が、演奏家と語り手が、どちらに寄りかかるわけではなく、過不足なく、そこに在る、というのは、実はたいへん難しいことだと思う。そういう意味で、私は次回の公演を楽しみにしている。その時、この二人が真に共感できるテキストに出会い、それをめぐって作業をし、演奏家と語り手がもっと自由に呼吸し合う空間と時間ができていることを祈って。赤い風船と白い風船が、どんな風に空に舞うかを、地面をころがるかを、この目でまた見てみたいと思う。




Kyoko Kuroda / Feb.02.2004
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Last Revised : Dec.13.2003